福岡地方裁判所 昭和53年(ワ)294号 判決 1982年3月12日
原告
津田勝喜
原告
津田智栄子
右両名訴訟代理人
山崎信義
被告
国
右代表者法務大臣
坂田道太
被告
福岡県
右代表者知事
亀井光
被告
前原町
右代表者町長
井上光
被告
井上光
右被告国、同福岡県及び同前原町指定代理人
有本恒夫
外一名
右被告福岡県、同前原町及び同井上光訴訟代理人
西山陽雄
右被告福岡県指定代理人
糸永義明
外三名
右被告井上光訴訟代理人
塙秀二
被告
甲崎武夫
(仮名)
右訴訟代理人
塙信一
主文
一 被告甲崎武夫は、原告ら各自に対し、それぞれ一三一五万六一〇二円及びこれに対する昭和五二年七月一〇日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告甲崎武夫に対するその余の各請求及びその余の被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告甲崎武夫との間においては、原告らに生じた費用の五分の一を同被告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らとその余の被告らとの間においては、全部原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告津田勝喜及び同津田智栄子(以下、それぞれ原告勝喜及び同智栄子という。)
1 被告らは、原告ら各自に対し、それぞれ一六五〇万円及びこれに対する昭和五二年七月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 被告国、同福岡県(以下、被告県という。)、同前原町(以下、被告町という。)、同井上光(以下、被告井上という。)
1 原告らの右被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
三 被告甲崎武夫(以下、被告甲崎という。)
1 原告らの右被告に対する各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告らの長男津田義人(以下、亡義人という)の死亡
甲崎一郎(以下、一郎という。)は、昭和五二年七月九日午後一時頃、福岡県糸島郡前原町(以下、前原町という。)大字神在一〇〇番地の二二所在の原告勝喜宅奥六畳居間において、所携の出刃包丁で亡義人の顔面及び頭部等を滅多切りして、同人を死亡するに至らしめた(以下、本件事故という。)。<以下、事実省略>
理由
一請求原因1の事実は、原告らと被告国及び同甲崎との間では争いがなく、原告らとその余の被告らとの間では、<証拠>によつて、これを認めることができる。
二請求原因2の各事実について判断するに、次の各事実は、原告らと被告甲崎間に争いがない。
1 被告甲崎は、妻と死別したため、昭和四四年頃当時東京都内で稼働していた一郎を被告甲崎宅に呼戻して、同居するに至つた。
2 ところが、被告甲崎は、昭和四七年頃一郎の雇主から一郎の奇異な言動を指摘されたことから、同年四月頃一郎に付添つて九州大学付属病院精神科に赴き、一郎を受診させ、その結果同精神科医師から松口病院を紹介された。
3 被告甲崎は、直ちに一郎を同行して松口病院を訪れ、一郎に受診させたところ、同院長松口医師は一郎の入院を勧奨したので、一郎は、直ちに同病院に入院した。
4 一郎は、療養の結果寛解し、松口病院を退院した。
5 一郎は、退院後間もなく結婚して一郎宅に移転したが、その後協議離婚した。
6 その後、被告甲崎は、松口病院に連絡して一郎を再入院させた。
7 一郎は、療養の結果寛解し、松口病院を再退院した。
三前記二の原告らと被告甲崎間に争いのない事実と<証拠>を総合すれば、次の各事実を認めることができ<る。>
1 一郎は、昭和二一年二月四日父被告甲崎(明治三七年七月二七日生)と母甲崎ハツとの間の末子として生まれ、前原町大字井原一四六九番地の被告甲崎宅で同人に慈しまれて成長し、糸島高校卒業後、東京都内の旭光学に就職していたところ、被告甲崎は、昭和三八年一一月一九日右ハツと死別し、その寂しさから昭和四五年三月二五日一郎を右自宅に呼戻した。その間、一郎は、短気で激情することがあつたが、異常な言動を示したことはなかつた。
2 一郎は、被告甲崎宅に帰来後宝流し台販売店及び浦上ミシン販売店にそれぞれ勤務し、更に、西福岡自動車でタクシー運転業務に従事していたところ、被告甲崎及びその長男甲崎太郎は、昭和四七年四月頃一郎の勤務先の上司から、一郎が駐車禁止区域に駐車したまま眠る等の奇異な行動をするので、一郎を病院で受診させるようにとの忠告を受けたため、直ちに一郎を同伴して九州大学付属病院精神科に赴いた。右精神科医師荒木冨士夫は、一郎を診察した結果、滅裂思考、妄想及び幻聴は認められないが、自閉的な生活で表面的、自己中心的かつ刺激的であり、不相応な返答をすること及び病識を欠くことから、慢性精神分裂病の性格変化をきたしたものと考え、一郎を単純型の精神分裂病と診断し、被告甲崎に対し、その旨説明して松口病院を紹介した。
3 そこで、被告甲崎は、昭和四七年四月二七日一郎に付き添つて松口病院を訪れ、一郎に受診させたところ、同病院々長松口医師は、妄想及び幻覚等はないが、思考抑制及び滅裂思考等が認められ、病識を欠くため精神分裂病と診断し、被告甲崎に対し、その旨説明し、直ちに一郎を同病院に入院させた。もつとも、被告甲崎は、その際には、一郎の病名をノイローゼであると思い違いをしていた。
4 その後、一郎は、向精神薬投与による薬物療法、レク療法及び作業療法を受けた結果、就業を希望するまでに寛解したため、昭和四七年一二月一一日松口病院を退院したが、その際、松口医師は、一郎に対し、通院及び服薬を継続することを、被告甲崎に対し、一郎の服薬を監督指導することを、それぞれ注意した。
5 一郎は、退院後被告甲崎宅に戻り、南日本タクシーの運転業務に従事しながら、松口病院に約一か月間、一週間に一回位の割合で通院し、服薬を継続したが、それ以後は、これを怠るようになつた。
6 一郎は、昭和四九年二月七日B子と見合い結婚したが、その際、被告甲崎から、前原町神在一〇〇番地の六の分譲住宅を買い与えられ、同所で右B子と新婚生活を始めた。ところが、一郎は、約四〇日間夫婦関係を欠いたこと等から、昭和四九年四月一日右B子と協議離婚し、その後、被告甲崎は、右一郎宅で一郎と同居するようになつた。
7 その後、一郎は、競艇からの帰路の車内で友人の首を絞めながらこれを自覚していない等の異常な行動を示すようになり、被告甲崎は、これを伝聞しながら一郎を放置していたところ、更に、一郎は、制限速度違反等を頻繁に犯すようになり、その頃から、自宅に閉居がちで無気力かつ無為となり、突然笑い出す等一層奇異な言動を示し始め、被告甲崎が右各所為に対して注意すると大声で反発するに至つたため、被告甲崎は、松口医師に数回相談した結果、一郎を往診してもらうことになつた。
8 そこで、松口医師は、昭和四九年八月一六日一郎を往診したところ、たまたま被告甲崎は不在中であり、一郎は緊張かつ興奮し、初入院時よりも重度の精神分裂病の症状を呈し、再入院を希望したため、即時一郎を再入院させた。
9 一郎は、再入院時、精神分裂病のため不眠、感情不安定、刺激性、不安、精神運動興奮及び空笑い等の症状を示していたが、向精神薬投与による薬物療法、レク療法及び作業療法を受けた結果軽快し、昭和五〇年五月三一日再退院したが、その際、松口医師は、一郎及び被告甲崎に対し、精神分裂病の再発が多いことを指摘し、退院後も一年半位は通院及び服薬を継続するように指導し、更に、被告甲崎に対し、一郎の服薬管理をなすよう注意した。
10 一郎は、再退院後一郎宅に戻り、被告甲崎と同居して同人から身辺の世話を受けながら、松口医師から紹介された中庭ブロック工業に勤務し、松口病院に週一回位の割合で通院し、服薬を継続していた。
11 ところが、被告甲崎は、昭和五〇年七月一七日自転車で転倒して左肩胛骨々折等の傷害を負い、前原町大字神在一三七八番地の三田中外科病院に同年八月二日まで入院し、退院後も同年一二月一七日まで通院しながら温泉療法を施していた。
12 その間、一郎は、勤務先を銀西陶業に替え、松口病院に通院し、服薬を継続していたが、被告甲崎から山林の贈与の話を聞くや、自宅の玄関に作業員数千人を募集する旨の貼紙を出す等異常な言動を示して、その病気が完治するには至らず、昭和五二年三月末頃には通院及び服薬を止め、その頃から失業するに至つた。
13 他方、被告甲崎は、昭和五二年六月一日再度自転車で転倒して頭頂部挫創等の傷害を負い、右田中病院に同月一五日まで入院し、退院後も同年七月八日まで通院しながら温泉療法を頻繁に施していたため、一郎と同居はしていたが、同人の世話をすることは困難になつた。
14 しかるに、一郎は、松口病院への通院及び服薬を中止したため、またもや病状が悪化し、昭和五二年七月三日頃の夕方、下着一枚で自宅の周囲に設置されている高さ約三尺のブロック塀の上を子供のように奇声を発し、両手で平衡を保ちながら歩行するという異常行動に及んだが、被告甲崎は、その傍でゲートボールに興じていたのに、一郎に対し、特に注意することはなかつた。更に、一郎は、同月七日頃の夕方、外出後自宅の分別がつかなくなり、付近の家の表札を見て廻り、たまたま出会つた顔見知りの近所の人に自宅の所在を尋ね、同月八日夕方には自宅の周囲を放心状態で排徊するなどの、奇異な言動が目立つようになつた。
15 しかし、被告甲崎は、温泉療法を怠るわけにもいかないと考えて、同月九日午前六時頃寺浦温泉に出かけたところ、一郎は、同日正午頃から精神分裂病の症状が顕著に発現し、自宅内を大声を発して走り回り、ついに自宅の出刃包丁を持つて原告勝喜宅に侵入し、本件事故を惹起するに至つた。
四以上の各事実によれば、一郎は、遅くとも昭和四七年四月頃から本件事故当時までの間継続的に精神分裂病に罹患していたことが明らかであり、しからば、一郎は、右当時本法第三条所定の精神病者に該当していたと認めるのが相当である。
なお、原告らは、一郎が本法第三条所定の精神障害者に該当し、また被告らの責任原因を基礎づける事実として、一郎がノイローゼに罹患していた点を主張しているが、右主張事実は、右要証事実との関係では間接事実にすぎないものと解するのが相当であるから、右主張事実と異なり、前記のとおり一郎を精神分裂病者と認定することは、何ら弁論主義に反することとはならないというべきである。
五請求原因4について判断する。
原告らが被告国、同県及び同町の責任原因として主張するところは、その趣旨必ずしも明瞭ではないが、そのいずれもが、つまるところ本法第二条に定める義務違反の存在を前提とするものと解される。しかしながら、本法第二条は、第一条の目的規定及び第三条の定義規定と並んで本法の総則中に規定され、その規定内容自体一般的かつ抽象的であることに加えて、精神衛生に関する施設の充実等の措置は必然的に財政的裏付けを要することに鑑みれば、精神衛生に関する行政権の主体とその努力義務ないし責務を明らかにしたものにすぎないと考えられるのみならず、一般的にいつて、精神衛生行政上の不作為は、それが著しく合理性を欠くため違法の評価を受ける場合を除き、精神障害者の加害行為による被害者個人に対する法律上の義務違反を生ぜしめるものではないと解するのが相当であるから、原告らの請求原因4を責任原因とする各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも主張自体失当である。
六請求原因5の事実について判断するに、<証拠>を総合すれば、これを認めることができる。
七そこで、被告町々長である被告井上が民法第七一四条第一項により個人責任を負うか否かについて検討する。
仮に、被告井上が本法第二一条所定の保護義務者であるという前提をとる場合、その地位は、被告町の機関として有するものであり、私人として有するものではなく、従つて、民法第七一四条第一項所定の法定監督義務者責任は、被告井上個人として負うべき筋合ではなく、被告町の機関として負うことがあるにとどまり、しかも、行政機関には法主体性が認められていない結果、その効果は直接被告町に生じることになると解するのが相当であるから、原告らの被告井上に対する民法七一四条第一項に基づく各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも主張自体失当である。
八次に、被告町が民法第七一四条第一項の責任を負うか否かについて検討する。
先ず、抗弁1の主張について案ずるに、その主張するところはやや不明瞭であるが、要するに、被告町々長が本法第二一条所定の保護義務者、延いては民法第七一四条第一項所定の法定監督義務者に該当しないこと及び一郎に対する監督義務を怠つていないこと(民法第七一四条第一項但書)を主張するものと解するのが相当である。
そこで判断を加えるに、本法は、精神障害者の存在については広く申請、通報又は届出を認めているにもかかわらず(第二三ないし第二五条、同条の二、第二六条、同条の二等)、その探索については、自傷又は他害のおそれある入院患者が無断退去した場合について規定しているにすぎないのであるが(第三九条)、これは、精神障害者の近親者及び関係人等に何らの支障がないのにもかかわらず、公的機関が精神障害者を積極的に探索して、これを保護監督することが、精神障害者の人権を不当に侵害するおそれがあるため、右申請等を待つて公的機関による保護監督を開始することとし、もつて精神障害者の保護監督とその人権保障との調和を図つた趣旨と解されるから、本法第二一条所定の保護義務者である市町村長といえども、右申請等がないのにもかかわらず被保護者を探索することは許されないというべきであるところ、前記三認定事実によれば、抗弁1(二)の事実を認めることができ、従つて、被告町々長である被告井上が、精神障害者である一郎を探索し、これを保護監督することは著しく困難かつ期待できなかつたものというべきである。それ故、被告町が、本件第二一条に定める保護義務者、延いては民法第七一四条第一項所定の法定監督義務者に該当するかどうかはさておくにしても、少くとも一郎に対する監督を怠つていないと認めるのが相当である。
以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告町に対する民法第七一四条第一項に基づく各請求は、いずれも理由がない。
九請求原因6について判断するに、前記一ないし三認定事実によれば、一郎は、昭和四七年四月二七日以降精神分裂病のため二回入退院を繰り返し、初退院後結婚したが、間もなく離婚し、再退院後就職しながら通院加療を継続し、昭和五二年三月末頃完治しないまま通院加療を打ち切り、失職中の同年七月九日午後一時頃精神分裂病による心神喪失状態で本件事故を惹起したのであるが、他方、被告甲崎は一郎の実父であり、右入退院の手続に付添い、その退院時医師から服薬管理の指示を受け、一郎の離婚後、一郎の再入院及び自己の入院期間を除き、一郎と同居してその身の廻りの世話をしていたことが認められる。
ところで、本法第二〇条第二項第四号所定の選任手続を経て保護義務者とされた者が、民法第七一四条第一項所定の法定監督義務者に該当することは明らかであるところ、責任無能力者を事実上世話している者が、選任手続を経ていない等形式的要件を欠くため法定の監督義務者に該当しない場合、民法第七一四条の規定の適用が全面的に排斥されるとすれば、同法第七〇九条の成否のみを問題とせざるを得ない関係上、誠実に右選任手続を履践した者が、これを不当に怠つた者よりも過失及び因果関係の存否について重い立証責任を課されるという不公平が生じることになるから、正義公平の理念に照らし、社会通念上法定の監督義務者と同視し得る程度の実質を備え、従つて、もし右選任手続が履践されれば当然本法第二〇条第二項第四号の保護義務者として選任されるであろう事実上の監督者は、民法第七一四条第二項により、責任無能力者の代理監督者として、同法第一項の法定監督義務者と同一の責任を負うものと解するのが相当である。ところが、右認定事実によれば、被告甲崎は、家庭裁判所による選任審判を経ていないが、その甲立をなしさえすれば、容易に保護義務者に選任されたであろうことは想像に難くなく、その実質においては、社会通念上本法上の保護義務者と同視できる程度に達していたことが明らかであるから、責任無能力者である一郎のためには、民法第七一四条第二項に定める代理監督者に該当するものと解すべきである。
一〇そこで、抗弁3について判断する。
1 まず、本件事故発生の可能性とその予見可能性について案ずるに、精神異常者は凶悪事件を惹起しやすく、精神異常者による犯罪予防が大きな社会問題となつていることは当裁判所に顕著であり、前記三認定事実によれば、一郎は生来短気で激情し易い性格であり、再入院前には精神分裂病のため友人の首を絞めたり、父親に対し大声で反抗したりする等粗暴な症状を示し、軽快した状態で再退院したものの、再発の危険を包蔵していたこと、他方、被告甲崎は、医師から一郎の精神分裂病を指摘され、その服薬管理を指導されたのにもかかわらず、当初それをノイローゼと思い込んでいたものの、一郎の右性格及び行動を熟知していたことを各認めることができ、このような場合、一郎が再退院後発病して凶暴な行為に出るおそれがあり、かつ、被告甲崎において、これを容易に予測することができたというべきである。
2 次に、本件事故の発生を防止する方法とその作為可能性について案ずるに、前記三認定事実によれば、被告甲崎は、本件事故当時七五歳で、自転車転倒事故による骨折等のため二回入退院を繰り返し、その後遺症等の治療のため頻繁に温泉に通つていたが、一郎の再退院時、医師から精神分裂病の再発の危険を指摘されるとともに、服薬管理の指導を受け、昭和五二年七月三日頃、一郎の病状が相当悪化して常軌を逸した行動を示すようになつたことを現認しながら、ゲートボールに興じていたことを認めることができ、このような場合、被告甲崎において、一郎が右常軌を逸した行動を示した時点で、自ら病院に連絡して一郎を入院させるか、そうでなければ、本法第二三条所定の保護申請の手続を履践して被告町の適切な保護措置の発動を求めさえすれば、本件事故の発生を未然に防止し得たものであり、しかも、被告甲崎がかような方策を講じることは十分に可能かつ期待できたものというべきであつて、被告甲崎の年齢及び健康状態を考慮しても、右判断が妨げられるものではない。
してみれば、抗弁3の主張は理由がなく、かえつて、被告甲崎は、右2の作為義務を負い、これを怠つた過失により本件事故を惹起したことが認められる。
一一進んで、請求原因8について判断する。
1 同(一)(1)について案ずるに、<証拠>によれば、亡義人が、本件事故当時生後八か月の健康な男子であつたことが認められ、昭和五二年における男子零歳の平均余命が67.74歳であること及び零歳児の新ホフマン係数が16.419であることは、当裁判所に顕著であり、<証拠>によれば、賃金センサス昭和五二年第一巻第一表産業計・企業規模計・男子労働者学歴計の年間給与額が二八一万五三〇〇円であることが認められ、従つて、亡義人は、本件事故がなければ、高校卒業後一八歳から平均余命の範囲内である六七歳まで四九年間稼働し、その間平均年間給与二八一万五三〇〇円の収入を得た筈であり、同金額から生活費として五割控除した残額に零歳児の新ホフマン係数16.419を乗じて中間利息を控除すれば、右稼働可能期間中の逸失利益の現価は二三一一万円二二〇五円となる。
2 同(一)2の事実について案ずるに、<証拠>によれば、これを認めることができる。
3 同(二)の事実について案ずるに、前掲原告勝喜本人尋問の結果によれば、亡義人の葬儀費用が三〇万円足らずであつたことを認めることができ、原告らの社会的地位及び亡義人の年齢等の諸事情を総合すれば、右葬儀費用を原告ら各自につき一〇万円と認めるのが相当である。
4 同(三)について案ずるに、<証拠>によれば、亡義人は、本件事故当時原告らの一人息子で、生後八か月であり、本件事故により残虐無惨な死を遂げたこと、被告甲崎は、原告らの宥恕を得られなかつたとはいえ、原告らの自宅まで赴き、亡義人の追善をし、原告らに対し葬儀料及び見舞金等一三〇万円余を支払い、その誠意の一端を示していることを各認めることができ、その他本件に表われた一切の事情を総合勘案すると、原告ら各自の慰謝料は、いずれも一〇〇万円と認めるのが相当である。
5 同(四)の事実について案ずるに、<証拠>によれば、原告らが、被告甲崎から本件損害金の任意の支払を受け得ないことが認められ、本件記録によれば、原告らが、原告ら訴訟代理人に対して本件訴訟追行を委任したことが明らかであり、弁論の全趣旨によれば、右委任の報酬として、原告ら各自一五〇万円の支払を約したことが認められるが、本件事案の内容、審理経過及び認容額を斟酌し、被告甲崎に対して損害として賠償を求め得る額は、原告ら各自につき一〇〇万円と認めるのが相当である。
以上の次第で、原告らは、被告甲崎に対し、その請求の範囲内である、各自の右損害金合計一三六五万六一〇二円から被告甲崎が昭和五二年八月一五日原告ら各自に対して支払つた五〇万円をそれぞれ控除した各残損害金一三一五万六一〇二円の賠償請求権を有することを認めることができる。<以下、省略>
(篠原曜彦 吉村俊一 遠藤和正)